カウンセラープロフィール

プライオリティ自分軸カウンセリング

心理カウンセラー
早川一平(はやかわ かずへい)

 

 

 

幼少期


秋田県秋田市生まれ。
母と、精神病持ちの父の3人家族。


幼少期は、
両親共にギャンブル好きで仕事が休みに日は家にほとんどいない。


家にいても、
精神病持ちの父の顔色を常に伺い、機嫌を取り、子供らしくいられない。


そんな居心地の悪い環境で育つ。

  
小学時代


小学1年のとき、ギャンブルの借金が理由で両親は離婚し、父親との生活が始まる。

小学6年になった頃、父の精神が限界を向かえ、一緒に暮らすことが難しい状況になる。

そして、当時すでに再婚していた母と再婚相手に引き取られ、小学校も転校し、新しい生活をスタートさせる。

  

中学生時代


転校、新しい父親、全てが新しい環境のストレスから、全ての対人関係に強いストレスを感じてしまう。

そして、
中学に入学するも慣れない環境に、いつも気を使い、同級生、上級生の顔色を常に伺ってしまう。

次第に、
毎日学校に行くこと、家族との時間に居心地の悪さ、生きづらさを感じるようになる。

そんな生活に3ヶ月余りで心が限界を向かえ中学卒業まで、不登校を経験になる。

不登校になり、数ヶ月後、精神病持ちだった父が死んだという知らせを受け、大切だった人を失う恐怖に襲われる。

その更に数ヶ月後、母と再婚相手はギャンブルの借金が理由で再び離婚するも、母も再婚相手の後を追うように家を出ていってしまう。

不登校になり数ヶ月で、
大切な人を失う恐怖と、大切な人に捨てられる、拒絶された、絶望感に心が感じたことのない痛みに襲われてしまう。

その後、中学を卒業し、定時制高校に入学する。

高校生時代


なんとか定時制高校に入学し、友達はできるも、「大切に思えば父のように失ってしまうかもしれない」その恐怖から、心を開くことができない。

更に、
拒絶されることで感じた心の痛みを再び味わいたくないから、全て相手に合わせてしまう。

そんな自分の思いを隠しながら、騙しながら高校生活を過ごし、社会人になるも様々な問題に襲われることになる。

社会人時代


社会人になり介護職で働くも、
同僚、上司の顔色を常に伺い、機嫌を取り、自分の意見や思いではなく、他人の思い、意見に合わせてしまう。


親や、友人にしてきた行動が社会の中では、「自分の意見がないやつだ」と思われてしまいうまくいかない生きづらさを感じる。

4年ほど働いたのち、愛知県に引っ越し、スポーツジムで働くも新しい問題に苦しむことになる。

お子さんのスイミングスクール、運動スクールを指導することになるも、親子の笑顔を見ているだけで、胸に激しい痛み、吐き気に襲われる。

そんなことが何度も続き、仕事を休むこともあった。

対人関係、親子の笑顔を見るだけで起こる体調不良に悩み、生きづらさに耐えきれなくなり、人生で初めて心理カウンセリング(心理療法)を受けました。

そのカウンセリングを通して、
僕はアダルトチルドレンであり、生きづらさの正体は、親子関係の末にできた心の傷、トラウマだったことが分かったのです。

そしてカウンセリングを通して、心の傷、トラウマを克服すると、体調不良も嘘のように無くなりました。

そして生きづらさも少しずつ、確実に解消されていったのです。

現在


「親子関係でできた心の傷、トラウマを抱えたまま、僕のように大人になり、そして人生に生きづらさを抱えた生きている人が沢山いる」


このような方の力になりたいと思いから心理カウンセラーになりました。

僕自身の経験、心理療法を組み合わせ、癒されながら、心の傷、トラウマを乗り越えられる。

プライオリティ自分軸カウンセリング】を行っている。


↓ 詳しいプロフィールこちら 

 

孤独を生きた子供時代


秋田県に生まれ、母、精神病持ちの父僕の3人家族。

両親共に借金を作ってまでもギャンブルする大のギャンブル好きでした。

両親は、仕事が休みの日は朝から晩までギャンブルに行き、僕は夜遅くまで両親の帰りを1人で待つような生活でした。

 

小学生になる頃には、祖父の自殺をきっかけに祖母も同居し、4人での生活をスタートさせました。

そして小学1年になった頃、ギャンブルによる借金が原因で両親は離婚し、母は家を出ていってしまったのです。

それから、父、祖母、3人で生活が始まりました。

父は精神が不安定になると突然怒りだし、罵声を浴びせられる、物を投げるなど、子供の僕では、手に負えない行動をする人だったのです。

そんな父を怒らせないように、常に顔色を伺い、機嫌を取り、自分の思いを話さず、父にとって扱いやすく、良い子でいる。


父の人生にとって扱いやすい、良い子でいることが子供の僕が自分を守るため
に必要な行動だったのです。

 

・父の精神が限界を向かえる


そんな生活は5年ほど続き、僕は小学6年生になった頃、父の精神が限界を向えました。

そして父は突然、僕に向かいこんな言葉を吐き捨てました。

 

お前の面倒はもう見れない、母親のところにいけ!!!

この言葉を聞いた瞬間、今まで我慢してきた僕の心も限界を向かえたのです。

父さんの人生に僕は、もう必要ないんだ」そう思った。

両親が離婚したとき、僕は笑顔で母の背中を見送った。

再スタートをきった母の人生に僕は邪魔だと思ったから。

だからせめて父のことは、愛したかった。


愛されたかった。

そのために顔色も、機嫌も伺い、罵声にだって耐えた。

 

泣きたいときは、迷惑にならないよう、父のいない部屋で一人声を殺して泣いていた。

そこまでしても、僕の存在は父にとって邪魔でしかなかった。

それが理解できた僕は、父に一言、「わかったよ」というので精一杯だった。

その頃、母は再婚し、新しい人生をスタートさせていました。

僕の事情を知り、再婚相手の方とも話し合い、僕と祖母を引き取ることを決めたのです。

 

・突然の不登校


小学6年の一学期終了と共に転校し、母、再婚相手、祖母、僕の4人の生活が始まりました。

新しい生活になっても、自然と母、再婚相手の顔色を伺い、機嫌を取り、扱いやすい、良い子でいる行動が染みついていました。

母の再婚相手は、大の酒、たばこ、ギャンブル好き、仕事も長く続かず転職を繰り返しているような人だった。

そして母のギャンブル好きも変わらず父のちきと同じく、2人でギャンブルによる借金を作る生活をしていたのです。

僕は、新しい小学校は無事卒業し中学生になりました。

そして、中学を3ヶ月あまりいった頃、僕は突然不登校になったのです。

 

朝起きたら、体がまなりのように動かない。。。

無理に学校に行こうとすると、謎の腹痛、体調不良に襲われる。。。

学校を休むことになると体は元気を取り戻す。

 

スクールカウンセリング、精神科に行っても何も変わらない毎日。

だから親や周囲の人たちに、「ただ学校に行きたくないだけだろ?」

そう言われることが辛くて、周囲から逃げるように、昼夜逆転し、ゲームばかりをして過ごす生活が1年余り続いていました。

そんなある日、2つの事件をきっかけに僕の人生は、更にどん底に落ちることになるのです。

 

・父の突然の死・・・


父は僕と離れてから、借金から逃げる生活をしていたのです。

そして最後は、自殺なのかも分からない状態で、遺体となって発見されました。

僕は、怖くて最後の父の姿を見に行くことができませんでした。

もうこの先、何年、何十年生きたとしても父に会うことはない。

僕の心は強烈な痛みに恐われ、しばらく動けない状態になってしまったのです。

 

こんな状態の中、更に2つ目の事件が起きます。

 

・離婚、母は再び家を出ていく


父の死から数ヶ月後、母と再婚相手はギャンブルの借金が原因で離婚をすることに。

しかし母は、ギャンブルの借金があっても再婚相手のことが好きだったため、一緒に家を出ていってしまいました。

そして母が僕を連れていかなかったのには、こんな理由があったのです。

再婚相手を追って家を出る前に、母が祖母と話している内容を偶然聞いてしまいました。

母は泣きながらこんなことを言っていました。

 

あの子は、父親と顔がそっくりだからときどき、すごく憎くなることがある

この言葉を聞いたとき、「僕は、母の人生にやっぱりいらない存在だった

そう強く思いました。

僕の胸に父が亡くなったときと同じ、強烈な痛みを感じ、動けなくなったのです。

そしてこう思いました。

母さんに幸せになってほしかったから、どんなに辛くても笑顔で背中を見送ってきた。

それなのに、母さんは幸せになってない。。。寂しくても、辛くても、我慢した僕の気持ちはどうなるの?

そしてまた母さんは、僕を置いていこうとしている。。。僕は最初から母さんにとって、愛する存在じゃなかったんだ。。。」

そう思ったとき、母に強い対して強い憎しみの感情を感じるようになったのです。

その後不登校は中学2年から、フリースクールに通い、定時制高校に入学することができました。

 

・高校卒業後、病院で働く


定時制高校を卒業後は、病院で介護助手として役4年ほど働きました。

職場の同僚や上司に対して、顔色を伺う、機嫌を取る、自分の思いを話さず、目の前にいる人にとって、扱いやすい良い人であろうとする。

親に対してとってきた行動を社会の人間関係でも繰り返す。

会社の人間関係にどっと疲れ、強いストレスを感じるようになってしまったのです。

 

子供の頃は、自分を守る手段としてよかった方法も、社会の人間関係では自分を守るどころか、自分を苦しめる

そんな行動に変わっていたのです。

 

・親子を見るのが辛い


病院で4年ほど働き、人間関係や、母への憎しみ、様々なことに疲れてしまい仕事も全て辞めて、愛知県に引っ越しました。

そして心機一転、スポーツジムのインストラクターとして働き始めたのです。

 

親から離れても、親の人生の影響は確実に僕の心の中に残っていました。

それは、インストラクターとして子供のスイミング、運動の担当になったときに姿を現しました。

 

子供を見守る親の優しい眼差し、そんな親に抱き着き甘えている子供の姿を見たとき、急に胸が苦しくなるなどの体調不良に悩まされ、仕事を休む日もあったのです。

 

・心理カウンセリング(心理療法)を受ける


病院に行っても特に体には異常はない。。。

でも体調不良や胸の苦しみは続いている。。。

そして僕は、人生で初めて心理カウンセリング(心理療法)を受けてみることにしました。

グループカウンセリングで数人が集まって行う形式で、値段は3万円

スポーツジムの給料はとても安く、3万円いう値段は死活問題でした。

ですが、自分の人生を変えるきっかけがどうしても欲しかった僕は、勇気を振り絞り、グループカウンセリングに参加したのです。

そして、グループカウンセリングで僕の人生は、アダルトチルドレンだったことを知りました。

親から自分を守るために身に着けた行動の数々、親の人生にとって都合の良い、良い子でいる。

その行動を大人になっても繰り返すも、自分を守るどころか、自分を苦しめる行動に変わっていた。

そして人間関係がうまくいかなくなり、強いストレスを感じ、生きづらさを抱えて生きる。

その全ては、過去の親との関係性に繋がっていたんだと初めて理解することができました。

そして人生で初めて受けた心理カウンセリング(心理療法)で、僕の心の傷は少しずつ、そして確実に癒されていきました。

心が癒されていくと、今まで見えていなかったものが見えるようになっていったのです。

子供の頃は親の愛情がないと生きられないのに、僕は今どうして生きてこられたんだろう?

ふとこんなことを考えました。

親がギャンブルで家にいないとき、同じアパートの子供が遊びにきてくれた。


・同居してからは祖母がいつもそばにいてくれたこと。


・不登校のときは、新しい友人、先生たちが助けてくれたこと。

親からの愛だけを求めるあまり、そのときの自分を大切にしてくれていた人たちの存在に気が付かなかった。

親からの愛は確かにあまり感じらずに生きてきた。

 

だけど親以外の人に愛をもらって、沢山助けられて、支えられて今の僕の人生があるんだ。

そう思ったら、

今の人生も悪くないじゃん!」そう思えるようになっていたのです。

僕は母を恨んだ中学生の頃から、

いつか親を見返したい!!!

この恨み、憎しみをいつかぶつけてやる!!!

そうやって親にぶつけて、親への気持ちが許せたら幸せになれると思ってた。

自分の人生がスタートすると思ってた。

ですがそれは逆だったんです。

 

親を許せたら幸せな人生になるのではなく、幸せな人生だから親を許せるんです。

そんな大切にことに心理カウンセリング(心理療法)で気付かせてもらうことができました。

 

・そして現在


心理カウンセリング(心理療法)に人生を救われた僕は、

「過去の僕と同じようにアダルトチルドレンの人生に苦しむや生きづらさを抱えている方の力になりたい!」

そう思い、心理カウンセラーになりました。

自分の人生ではなく、親の人生を生きた子供時代。

本当に辛いことの連続でした。

それでも大人になって幸せになれる!」と思ったら、親から自分を守るためにしてきた行動に苦しめられる。

もしあのとき心理カウンセリング(心理療法)に出会わなければ、

僕は今でも親を見返す人生、親を許すための人生、結局は親の人生を生きていたと思います。

 

僕は26歳にして、初めて自分の人生のトビラを開き、歩き出すことができたのです。

 

今はそんな自分の人生を愛おしく思えるようになりました。

僕にとって心理カウンセラーはまさに天職と言える職業です。

今は心から自分の経験に、そして自分の人生を誇りに思います。

ここまで読んでい頂いたあなたに心から感謝の気持ちでいっぱいです。

ありがとうございました!

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