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カウンセラープロフィール(最新)


心理カウンセラー
早川一平(はやかわ かずへい)

 

 

 

 

 

幼少期


秋田県秋田市生まれ。
母と、精神病持ちの父の3人家族。

 

幼少期は、両親共にギャンブル好きで仕事が休みに日は家にほとんどいない。

 

家にいても、精神病持ちの父の顔色を常に伺い、機嫌を取り、子供らしくいられない、そんな居心地の悪い環境で育つ。

 

小学時代


小学1年のとき、ギャンブルの借金が理由で両親は離婚し、父親との生活が始まる。

 

毎日、毎日父の顔色、機嫌、を伺い、とにかく怒られないように、迷惑をかけないように自己犠牲の毎日を過ごす。

 

小学6年になった頃、父の精神が限界を向かえ、一緒に暮らすことが難しい状況になる。

 

そして、当時すでに再婚していた母と再婚相手に引き取られ、小学校も転校し新しい生活をスタートさせる。

 

中学生時代


転校、新しい父親、全てが新しい環境に変わってしまう。

 

環境が変わっても、父親にしていたように、人の顔色、機嫌を伺い、嫌われないように、迷惑をかけないようにと自己犠牲を繰り返してしまう。

 

その結果、対人関係に強いストレスを感じてしまい中学1年から3年間、不登校を経験する。

 

不登校になり、1年間ひきこもりを経験し、その後フリースクールに通い、中学を卒業し、定時制高校に入学する。

 

高校生時代


定時制高校に入学後、友人ができるも常に友人の機嫌、顔色を常に伺い、1日が終わると毎日、ぐったりと疲れてしまう

そんな4年間の高校生活を過ごす。

 

社会人時代


社会人になり介護士として働くも、同僚、上司の機嫌を取り、常に顔色を伺い、自分の意見や思いではなく、他人の思いや意見に合わせてしまう。

 

親や、友人にしてきた行動や考え方は社会の中では、「自分の意見がないやつだ」と思われてしまい、対人関係がうまく築けない悩みを抱えてしまう。

 

4年ほど介護士として働き、その後愛知県に引っ越しをする。

 

自分を誰も知らない人たちの中で働いても、結局他人の機嫌、顔色を伺い、ストレスが溜まる。

環境を変えても、対人関係で抱える苦しみ、悩みはつも同じことの繰り返し

 

そんな自分に耐えられなくなり、人生で初めて心理カウンセリング(心理療法)を受ける。

 

そのカウンセリングを通して僕は、アダルトチルドレン、毒親育ちであることが分かった。

そして、環境を変えても変わらない、うまくいかない対人関係の原因は、子供時代に身に着けた考え方、行動から生まれた不幸になる対人関係パターンを繰り返しているからだと知る。

 

その後、心理療法を学び不幸になる対人関係パターンを抜け出す。

 

現在


数ある心理療法の中で、不幸になる対人関係パターンを変えるために効果的だった方法をまとめ、プライオリティ自分軸メソッドを創り上げる。

 

プライオリティ自分軸メソッドを使い、過去の僕と同じようにアダルトチルドレン、毒親育ちの末に身に付いてしまった不幸になる対人関係パターンで悩み、苦しみを抱えている方をカウンセリングを通してサポートしている。


↓ 詳しいプロフィールこちら 

 

不幸になる対人関係パターンができた子供時代


秋田県に生まれ、母、精神病持ちの父僕の3人家族。

 

両親共に借金を作ってまでもギャンブルする大のギャンブル好きでした。

 

両親は、仕事が休みの日は朝から晩までギャンブルに行き、僕は夜遅くまで両親の帰りを1人で待つような生活でした。

 

小学生になる頃には、祖父の自殺をきっかけに祖母も同居し、4人での生活をスタートさせました。

 

そして小学1年になった頃、ギャンブルによる借金が原因で両親は離婚し、母は家を出ていってしまったのです。

 

それから、父、祖母、3人で生活が始まりました。

 

父は精神が不安定になると突然怒りだし、罵声を浴びせられる、物を投げるなど、子供の僕では、手に負えない行動をする人だったのです。

 

そんな父を怒らせないように、常に顔色を伺い、機嫌を取り、自分の思いを話さず、父にとって扱いやすい、良い子でいる。

 

今思うとこの頃に僕は、少しずつ不幸になる対人関係パターンにはまっていったのだと思います。

 

・父の精神が限界を向かえる


そんな生活は5年ほど続き、僕が小学6年生になった頃、父の精神が限界を向えました。

 

父は突然、僕に向かいこんな言葉を吐き捨てました。

 

お前の面倒はもう見れない、母親のところにいけ!!!

 

この言葉を聞いた瞬間、今まで我慢してきた僕の心も限界を向かえたのです。

 

父さんの人生に僕は、もう必要ないんだ」そう思った。

 

両親が離婚したとき、僕は笑顔で母の背中を見送った。

 

再スタートをきった母の人生に僕は邪魔だと思ったから。

 

だからせめて父のことは、愛したかった。


そして、愛されたかった。

 

そのために顔色、機嫌も伺い、罵声にだって耐えてきた。

 

泣きたいときは、迷惑にならないよう、父のいない部屋で一人で声を殺して泣いていた。

 

そこまでしても、僕の存在は父にとって邪魔でしかなかった。

 

それが理解できた僕は、父に一言、「わかったよ」というので精一杯だったのです。

 

そしてその頃、母は再婚し、新しい人生をスタートさせていました。

 

僕の事情を知り、再婚相手の方とも話し合い、僕と祖母を引き取ることを決めたのです。

 

・突然の不登校


小学6年の一学期終了と共に転校し、母、再婚相手、祖母、僕の4人の生活が始まりました。

 

新しい生活になっても、自然と母、再婚相手の顔色を伺い、機嫌を取り、扱いやすい、良い子でいる行動が染みついていました。

 

だから母、再婚相手の人に心を開くこことができなかったのです。

 

母の再婚相手は、大の酒、たばこ、ギャンブル好き、仕事も長く続かず転職を繰り返しているような人だった。

 

そして母のギャンブル好きも変わらず父のちきと同じく、2人でギャンブルによる借金を作る生活をしていたのです。

 

僕は、新しい小学校を卒業し中学生になりました。

 

順調に思えた矢先、中学を3ヶ月あまりいった頃、僕は突然不登校になったのです。

 

朝起きたら、体がまなりのように動かない。。。

 

無理に学校に行こうとすると、謎の腹痛、体調不良に襲われる。。。

 

学校を休むと体は元気を取り戻す。

 

スクールカウンセリング、精神科に行っても何も変わらない毎日。

 

だから親や周囲の人たちに、「ただ学校に行きたくないだけだろ?」

 

そう言われることが辛くて、周囲から逃げるように、昼夜逆転し、ゲームばかりをして過ごす生活が1年余り続いていました。

 

そんなある日、2つの事件をきっかけに僕の人生は、更にどん底に落ちることになるのです。

 

・父の突然の死・・・


父は僕と離れてから、借金から逃げる生活をしていたのです。

 

そして最後は、自殺なのかも分からない状態で、遺体となって発見されました。

 

僕は、怖くて最後の父の姿を見に行くことができませんでした。

 

もうこの先、何年、何十年生きたとしても父に会うことはない。

 

僕の心は強烈な痛みに恐われ、しばらく動けない状態になってしまったのです。

 

こんな状態の中、更に2つ目の事件が起きます。

 

・母の人生に僕はいらない存在だった


父の死から数ヶ月後、母と再婚相手はギャンブルの借金が原因で離婚をすることに。

 

しかし母は、ギャンブルの借金があっても再婚相手のことが好きだったため、一緒に家を出ていってしまいました。

 

そして母が僕を連れていかなかったのには、こんな理由があったのです。

 

再婚相手を追って家を出る前に、母が祖母と話している内容を偶然聞いてしまいました。

 

母は泣きながらこんなことを言っていました。

 

あの子は、父親と顔がそっくりだからすごく憎くなることがある

 

この言葉を聞いたとき、「僕は、母の人生にもいらない存在だった」そう思いました。

 

嫌いだった元夫に似ている存在、不登校になって迷惑しかかけていない存在。

 

そんな存在はいらない。

 

僕に安心できる家族なんて、居場所なんてどこにもない。

 

そんなことを思った瞬間、僕は胸に父が亡くなったときと同じ強烈な痛みを感じ、動けなくなったのです。

 

そしてこう思いました。

 

母さんに幸せになってほしかったから、どんなに辛くても笑顔で背中を見送ってきた。

 

それなのに、母さんは幸せになってない。。。寂しくても、辛くても、我慢した僕の気持ちはどうなるの?

 

そしてまた母さんは、僕を置いていこうとしている。。。僕は最初から母さんにとって、愛する存在じゃなかったんだ。。。」

そう思ったとき、母に強い対して強い憎しみの感情を感じるようになったのです。

 

その後不登校は中学2年から、フリースクールに通い、なんとか定時制高校に入学することができました。

 

・社会人になってもつきまとう不幸になる対人関係パターン


定時制高校を卒業後は、介護士として役4年ほど働きました。

 

職場の同僚や上司に対して、顔色を伺う、機嫌を取る、自分の思いを話さず、目の前にいる人にとって、扱いやすい良い人であろうとする。

 

社会人になってもやはり、不幸になる対人関係パターンをずっと繰り返していたのです。

 

その結果、会社の人間関係にひどく疲れ、強いストレスを感じるようになってしまったのです。

 

・環境を変えても、変わらないもの


病院で4年ほど働き、人間関係や、母への憎しみ、様々なことに疲れてしまい仕事も全て辞めて、愛知県に引っ越しました。

 

そして心機一転、スポーツジムのインストラクターとして働き始めたのです。

 

ですが環境を変えても不幸になる対人関係パターンは僕の中に染みついていました。

 

病院で働いていたときは、一緒に働く同僚や上司だけの顔色、機嫌を気にしていれば仕事はなんとかうまくいっていました。

 

それが今度は、お客さんの顔色、機嫌を伺うことにも注意を向けなければいけなくなり、1日が終わる頃にはぐったりと疲れ果ててしまう毎日でした。

 

そして時には、体調不良で仕事を休む日もあったのです。

 

・人生で初めて心理カウンセリング(心理療法)を受ける


今の生活、自分自身に我慢の限界を感じていたとき、諦め半分で人生で初めて心理カウンセリング(心理療法)を受けてみました。

 

ですがこのカウンセリングが僕の人生を大きく変えるきっかけになったのです。

 

このカウンセリン通して僕は、アダルトチルドレンであり、毒親育ちだったことを知ったのです。

 

そしてずっと苦しかった不幸になる対人関係パターンは、育ってきた環境で身に着けてきたしまったものだということも分かりました。

 

このカウンセリングをきっかけに本格的に自身でも心理カウンセリング(心理療法)を学び初め、長年抱えていた不幸になる対人関係パターンを抜け出すことができたのです。

 

・そして現在


心理カウンセリング(心理療法)に人生を救われた僕は、

「僕と同じように不幸になる対人関係パターンで悩み、苦しみを抱えている人の力になりたい!」

 

そう思い、自身の経験と心理カウンセリング(心理療法)の技術をミックスさせ、〇〇〇を創り上げました。

 

その〇〇〇を使い、不幸になる対人関係パターンから、幸せになる対人関係パターンへ人生をシフトするサポートをしています。

 

ここまでお読み頂いてありがとうございました。

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