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愛知県一宮市今伊勢町馬寄上町屋
名鉄 石刀駅より徒歩5分

カウンセラー紹介

カウンセラーのプロフィール

親子で幸せになる不登校セラピー 
早川 一平(はやかわ かずへい)

1990年 秋田県秋田市生まれ。幼少期から
    秋田で育つ

1996年 祖父の自殺、両親の離婚を経験する

2003年 明確な理由が分からない不登校に
    なる

2004年 フリースクールに通い立ち直る

2005年 行っていなかった中学校の卒業式
    に参加する

2017年 親子で幸せになる不登校セラピー
    開始

こんちには、
親子で幸せになる不登校セラピー
早川一平です。

僕自身、中学1年から3年間不登校、幸せとは言えない家庭環境を経験しました。

祖父の自殺、両親の離婚、父の死、そして不登校、朝起きると布団から出られない、布団から出て行こうとすると謎の腹痛などに襲われる。

1日だけ休もうが、3日、7日と続きそれでも、行く気力も、謎の腹痛もよくならない。

母や周りの大人から行けない理由を聞かれても答えることができない。

明確な理由が分からない不登校は、理由が明確にある不登校と同じくらい辛いんです。

そんな僕でしたが中学2年の頃に通っていたフリースクールで立ち直ることができました。

その後カウンセラーを目指し、心の仕組み、心理学を学ぶことで当時の明確な理由が分からなかったこと、謎の体の不調の原因などが分かりました。

心の仕組み、心理学、僕自身の不登校の経験から、親子で幸せになる不登校セラピーを創り、不登校で悩みを抱える親子の方へカウンセリングを始めました。


↓ もう少し詳しいプロフィール ↓

カウンセリングを受けて、悩みが解決するかどうかは、お子さん、親御さん、そして僕自身との相性というのも非常に大切なポイントとなりますのでご興味のある方は続きを是非ご覧ください。

・子供らしくいられなかった幼少期

僕の幼少期は、生きた心地のしない幼少期でした。

小学校に上がる前に祖父の自殺を経験したのです。

ギャンブルによる借金、祖母との離婚、孤独に耐えられず祖父は自殺をしてしまったのです。

更に母、父ともにギャンブル好き、借金があり、さらに父は精神病持ち、いつ怒り出すか分からないそんな父に毎日脅えながら、気を使いながら過ごしていたそんな毎日でした。

そして、僕が小学1年の頃、両親は離婚し、母は生活苦から僕をおいて出て行きました。そして父と、祖母との生活が始まりました。

祖父を失った悲しみ、両親の離婚、毎日泣きたい気持ちで一杯一杯心の必死に押さえ込みながら毎日を過ごしていました。

・父の心の限界、新しい生活

小学6年の頃、父の心はもう限界を迎えていました。

父から直接、『もう面倒は見れない、母さんのところに行け!』と強い口調で言われてしまったのです。

僕の心も、もう限界でした。

当時は母も再婚して新しい生活をスタートさせていましたが、事情を聞いた再婚相手の方の配慮もあり、僕、母、再婚相手、祖母との新しい生活を始めることになったのです。

・突然の不登校、昼夜逆転

新しい生活をスタートさせ小学校も転校し、そして中学に入学し、3ヶ月あまりで僕は突然不登校になってしまいました。

朝起きると体が動かない、やる気がでない漠然とした不安、恐怖に襲われる、行こうとすると謎の腹痛に襲われる、そんな状態になっていったのです。

『1日だけ休もう』それが、3日、7日、何日経っても体は動かない。こうして僕の明確な理由が分からない不登校、ひきこもり生活が始まりました。

母や周りの人から、行けない理由を聞かれても明確に答えることができない、漠然とした不安、恐怖がなんなのか、この謎の腹痛が何なのか説明することができない。

だから周りからは、『ただなまけたいだけじゃないか?』と思われてしまう、誰にもこの辛さ、苦しみを分かってもらえない。

母もどうしたらいいか分からない、そんなどこにも居場所がない生活が1ヶ月ほど続いた頃、僕は突然、昼夜逆転の生活になってしまいました。

朝の世界に居場所を失った僕が唯一安心できる場所は夜しか残されていなかったのです。

昼夜逆転の生活になり、夜な夜なゲームばかりする生活になりました、ですがゲームが決して楽しかったわけではないのです。

何かをしていなければ、不安や恐怖に襲われてしまう、自分の心が壊れそうになってしまう、だからゲームをして何とか考えないようにすることが、僕の生きる手段だったのです。

ですが、ゲームばかりしている姿を見た周りの人たちは、『ゲームをする元気はあるのか?やっぱりただ怠けたいだけじゃないのか?』と思われてしまい僕のその行動がさらに僕を孤独にしていったのです。

そしてそんな生活の中、更に僕の心を追い詰める2つの事件が起きました。

・父の死、再び離婚、祖母との暮らし

そんな生活の中、精神病持ちだった父が原因不明の死でこの世を去りました。

悲しくないと思ってた、借金ばかりで、いつも気をつかうばかりで、愛情なんてろくに感じたことのない父が死んでも悲しくなんてないと思ってた。

それなのに僕はボロボロ泣いていたのです。

『愛されていたか、いなかった』以上に僕自身が本当は深く父を『愛していたんだ』ということに気がつきました。

そんな悲しみが癒えきらない中、再び母はお金の問題で離婚し、納得のいかない離婚から再婚相手を追いかけるように家を出ました。

そして、僕と祖母の二人の生活が始まりました。

不登校、父の死、再びの離婚が全て重なってしまい僕の心には大きな穴がぽっかりと空いてしまったような感覚でした。

学校にも行けない僕だから置いていかれても仕方ない、子供としての価値なんてない、自分の存在している理由すら分からなくなり、毎日毎日自分を責めるそんな生活だったのです。

そんなとき、家を出た母からある提案があったのです。『不登校の子どもたちが通うフリースクールがあるんだけど見学に行ってみない?』

この生活からなんとか向け出したいと思っていた僕は、見学だけに行ってみることにしたのです。

そしてこの選択が、僕にとって希望の光となっていくのです。

・フリースクールで理解ある友人、先生方に出会う

フリースクールの見学に行き、勇気を出して、1日だけ通ってみることにしたのです。

そして場所で、心から信頼できる友人、先生方に出会うことができたのです。

学校に行けない理由が分からなくても『辛かったね、苦しかったんだね』『気持ちを分かろう』としてくれる大人に初めて出会えた、お互いの辛さを共感できる友人に初めて出会えたのです。

そして、この言葉を聞いたとき、僕は自然と泣いていました。僕は今までの人生で初めて悲しみとは違う涙を流すことができたのです。

それからの僕は、片道自転車で40分かかる道を毎日通い続けました。

それまで怖くて一歩も外に出られなかった僕が友達、先生に会いに行くために毎日外に出ることができたのです。


自分の気持ちを分かろうとしてくれる人との出会いを通して僕の心はどんどん癒されていき、朝の世界に新しい居場所ができたとき、僕の昼夜逆転の生活は改善されていったのです。

・行っていなかった中学校の卒業式に参加する

ある日フリースクールの先生から『中学校の卒業式に行ってみない?』と提案がありました。

僕からすると何の思い出もない逃げ出してしまった生活、同級生から何を言われるか分からない、
そんな場所に行くことはとても怖いことでした。

そんな僕に先生はこんな言葉をかけてくれたのです。

『ダメだと思ったらここに戻ってきたらいいんだよ、もう一平くんの居場所はここにあるんだから』ダメでも帰れる場所がある、ダメな自分で分かってくれる人たちがいてくれる。

それから1週間時間をもらい今までのことを振り返っていました。


『僕は不登校になって中学生活から逃げた、でも逃げた先で起こった出来事、出会った人たちは恥じるべきものだっただろうか?』
その答えはノーでした。

僕が築いてきた今までの思い出は、普通に学校に行っている同級生たちと何ら変わらない、ましてや恥ずかしいものなんかじゃない、そう思えたことで、僕は卒業式に参加する勇気が湧いてきたのです。

そして僕は中学の卒業式に参加し、みんなも前で卒業証書を受け取ることができました。

こうして僕は、沢山の人のおかげで不登校からも卒業することができたのです。

・不登校からの高校生活

高校は地元の定時制高校に入学しました。高校でも様々な挫折やつまずきはありましたが、そのたびに思い出すのは、不登校時代にお世話になった友達、先生の顔でした。

いつでも帰れる居場所、繋がりが僕をずっと支えてくれていたのです。

・不登校の経験を活かすために

高校を卒業後、僕は地元秋田の病院で4年ほど介護職員として働き、その後、愛知県に上京し、スポーツジムで2年ほど働いていました。

自分が本当にやりたいことは何なのか?を毎日考えながら日々を過ごしていたのです。


『自分が本当にやりたいことはないかな?
自分の経験を活かせる道はないのか?』
そんなことを毎日毎日考えていたのです。

そんな僕にも不登校になった頃から漠然ではありますが、一つだけ興味があることがあったのです。

それが、心理カウンセラー、心の専門家になることが僕が一つだけ思っていたことでした。

そして、当時の僕と同じように、今不登校で悩みを抱えている親子の方のサポートをしたいと思うようになっていったのです。

 

・本格的に心理学を学ぶ

そして本格的に心理学、心の仕組み、を学ぶ中で、もしあの時これを知っていたら』と思うことが本当に沢山あったのです。そしてその中で、家族に対するこんな思いを芽生えてきたのです。

・親だって悩み苦しみを抱える一人の人なんだ

それは、子育てで悩み、更に自分自身のことで悩みを抱え、ですがそんな思いを誰にも言えずに苦しい思いを抱えたお母さん、お父さんの姿だったのです。

僕が幼少期だった頃、不登校だった頃、母も父も僕の問題とは別に様々な悩みを抱えていました。

『母も父も、親である前に一人の人なんだ』
と改めて考えるきっかけになったのです。

幼少期から振り返ってみて僕が過ごしてきた家庭は、幸せな家庭と言えるものではありませんでした。

家庭を居場所とは思えずにいた自分自身、親自身も悩みを抱え苦しい思いの中で必死に生きている姿を見たとき、親が幸せであることが、子供の幸せに繋がることを改めて実感することができたのです。


その経験からまずは親御さんの心が軽くなり、幸せを感じることで、心の余裕が生まれ不登校という現実にも柔軟に対応できる心を育むことが大切だと思うようになりました。

・親子で幸せになる不登校セラピー誕生

そんな思いから生まれたのが、親子で幸せになる不登校セラピーです。


『不登校で辛く、苦しい思いをしているのは、お子さんであることは間違えない、でもお子さんと同じくらい親だって自分のことで悩み、自分の過去に悩み、苦しい思いを抱えている』
更に自分自身の悩みも抱えて心が壊れてしまいそうになっているのではないか?

そんな時でも、自分をないがしろにして、子供の心配をしてしまうのが親というもだと思います。

そしてそれは、子供も同じなのです。


親にとっての幸せは子供が幸せであること、子供にとっての幸せは親が幸せであることです。誰かの犠牲の上での幸せでは誰も幸せにはなれはしないのです。だからこそ親子で幸せになりましょう。

『不登校の悩みも、自分自身の悩みや苦しみも、乗り越えたら自分をそして大切な人を幸せにする力に変えられる』そんな願いを込めて完成させたのが親子で幸せになる不登校セラピーです。

・子供の不登校で悩む親御さんへ

お子さんが不登校になって本当に辛く、苦しい思いをしてきたことと思います。

不登校を分かってくれる人はいても、不登校の気持ちを分かろうとしてくれようとしてくれる人は、まだまだ少ないです。

そして親御さん自身もお子さんの不登校、もしくはご自身が苦しい思いを抱えているのではないでしょうか?

お子さんの不登校の改善のためには、親御さんの力は必要不可欠です。ですが、親御さんも一人の人であることは変わりありません。

まずは、ご自身の心を軽くしませんか?

そして不登校の気持ちは、不登校を経験したものでなければ分からない気持ちも沢山あると思っています。

だからこそ、僕に不登校のお悩み、親御さん自身のお悩みを幸せに変えるサポートをさせていただきたいと思っております。

・未来へ

僕には夢があります。それは不登校を通して、『親子で幸せな人生』を歩めるそんな人たちを増やすことです。

お子さんなら『不登校だったから僕(私)はダメなんだ』などと決して思ってほしくはないのです。


『不登校の経験があったから僕(私)は幸せだよ』
と思えるような人生を歩んでほしいと思うのです。

そして親御さん自身もご自身が抱えているお悩みや苦しみがあるのなら、それをこれからの人生に活かしてほしいと思うのです。

想像してみてください。

『お子さんなら不登校になった人生を、親御さんなら不登校の子供を持つ親としての人生、ご自身が抱えている悩み、苦しみを不幸な人生と決めてこの先の未来を歩みますか?』

それはあまりにももったいないです。

不登校を通して、ご自身の悩み、苦しみを通して『親子で幸せになる』、そんな未来に向かって僕と一緒に歩んでいきませんか?