親子で幸せになる不登校セラピー
早川一平です。

 

今日は少しだけ僕の不登校時代
のお話しをさせていただきます。

 

僕は不登校になるずっと前から
悲しみ、苦しみを抱えながら毎日
を生きていたんです。

 

言えない思いをずっと抱えて
生きていたのだと、今は思うのです。

 

僕は小さい頃から自分の心を
押し殺して、自分じゃない誰かに
必死になろうとしていたんです。

 

自分の人生じゃない、他人の人生を
必死になって生きようとしていたんです。

 

親に好かれる子供でありたかった。

社会で通用する大人になりたかった。

 

いろんな抱えていた思いは社会で
言われる成功者になれば全て消えて
くれると思ってた。

 

どうしてそう思うよになったのか
といえば、僕の親はギャンブルで
借金を抱え、小さい頃は夜遅くまで
一人で留守番することもありました。

お金に苦労する親を見て、お金があれば
生きることには困らない、お金があれば
親は僕を見てくれる。

そう思っていたんです。

 

小学1年になって両親が離婚しても、
母と離れても、僕は寂しいとは決して
言いませんでした。

 

『お金のない僕に価値はない、
 置いていかれて当然だよね。』

 

そう自分に言い聞かせながら、
必死に胸の痛み、苦しみに耐えて
毎日を生きていました。

 

僕は離婚後は小学6年まで父と
の暮らしが始まりました。

 

父は精神的に不安定なところがあり、
いつ怒り出すか分からないそんな人でした。

 

父に常に気を使い生きる日々の中で
僕は感情を感じるということを忘れて
いました。

 

ケガをしたら同級生は、当たり前
のように親に泣きつき、助けを求める。

悲しいことがあればすぐに泣き出す。

嬉しいときは素直に喜び、親にその
話しを夢中でする。

その全てが当時の僕にとっては、
意味が分かりませんでした。

 

ケガなんて何にも痛みを感じない、
毎日感じていた、胸の痛み、苦しみ
に比べたら全然痛くない。

 

見える傷はこんなに痛そうなのに、
見えない傷の方がはるかに痛いんです。

それから色々あり小学6年、2学期に
再び母と暮らす生活が始まりました。

 

僕の心は環境の変化に適応できない
ほどボロボロでした。

 

もう親に合わせて生きることも、
心の痛み、苦しさにも、学校生活にも
全てに疲れて僕は不登校になりました。

そして1年間、昼夜逆転、引きこもり
を経てフリースクールに通いました。

 

初めてでした、こんな自分が生きて
いていいと思えたのは、初めてでした、
泣きたいときは泣いてもいい、楽しい
ときは、話してもいいと思えたのは。

 

僕は初めてこれが、生きているという
ことなんだと実感することができたんです。

 

不登校になる選択をしなければ、
僕はこの世に今いる人間ではなかった
かもしれません。

 

不登校にならなければ、今こうして
不登校でお悩みの親子の方のサポート
をしようなんて思いもしなかったでしょう。

 

あの頃の僕に唯一できた選択は、
不登校になることだけでした。

 

人は二度生まれるのだそうです。

一度目は、親の体からただ生きるために。

二度目は、自分と誰かを幸せにする
ために。

泣いたり、笑ったり、怒ったりしながら
『幸せだったね』と言って人生を閉じる
ために。

僕は不登校になってようやく、
二度目の人生を歩み始めることが
できたような気がします。

親子で幸せになる不登校セラピー
早川一平